古田医院(内科・外科・胃腸科)千葉県・柏市
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日記・コラム

最後の幕引きはどうなるの?

                                     古田穣治


 私は、当クラブ創立2年目に入会し、第二十代会長を務めて、今年三十八年目を迎えます。
 二年前 クラブ生活を総括して卓話しました。今年は卒業させて貰おうと申し入れたのですが,一寸待てと言われ、もたもたしていたら、先日勝田会長が来訪し、例会の卓話を依頼されました。実は、まだ何人かの喫煙者がいるので、そのことも含めて健康談義をしてくれないかということでした。
 会員としての職業奉仕が足りないかと反省しながら、まだ止めない天邪鬼の顔を何人か思い出しながら、会員の健康を気遣う会長の熱意に押されて引き受けました。
 早速、いまだに喫煙している方に申し上げます。
 あなたは、ニコチン依存症という病気であります。健康保険の適用になる病人であります。十二週間チャンピックスを服用すれば依存症から脱出出来ます。禁煙成功率は100パーセントではありません。「止める」という強い決意と途中で諦めない心が必要です。
 ただ副作用として眠気が出るので車の運転は、この薬の服用中は不可能です。その他 貼る薬や、他にも色々と薬はありますので、中村佳弘先生に相談して下さい。
 ご自分のご体験を含めて良いご指導をして下さいますから、何とか頑張りましょう。
 蛇足に二つだけ付け加えますが、過日、私がメンバーになっているゴルフ場で、タバコを吸っていたプレーヤーを見た友人が、このクラブは意識が低い、一流とは言えないよ。自分のクラブにはいないよ。カラス以外の物取りも全くないし、と言ったので、そこまで言うかと腹が立った記憶があります。勝田会長も他クラブとの交流が多く、会合で喫煙者のいるクラブは意識が低い、品位が落ちると感じられているのかも知れません。
 もう一つは、身内のことですが、私の弟が六十五歳までタバコを喫っていて、七十八歳で肺気腫、肺癌、心筋梗塞となり、八十一歳の現在その治療を続けていますが、内心きっと兄貴の言う事を聴いていればと思っただろうし、苦しみもしたろうけれども、幸い目下の処、経過はよいようです。
 タバコの話は終わりますが、勝田会長は、併せて健康談義をしてくれ、柏クラブで柏厚生病院長の諏訪先生が先日良い卓話をしたそうで、と言われたけれども、こちらはもう隠居に近い身で、私こそ彼の話を聞きたい、最新の医療の話を当クラブでやって貰えば、・・・諏訪先生は、私と同じ慶応の外科研究室の後輩で、現在は私の主治医の一人でもあり、と言いかけた所で、会長曰く、「貴方は、会員の健康について親身になって電話にも気軽に出て皆の相談に乗ってくれた。危機一髪の時にすぐかけつけて、適切な指示をしてくれ、命の助かった人が何人もいる。そんな身近な人だから、皆も身に沁みて聞くだろうから、話して・・・。」とおだててくれましたけれど、個人情報は話せない。たとえもう故人となられた方でも我々の身近の人の具体的な事は話したくない。環境、遺伝、家族構成、事業経営、女性関係、負債、その他ストレス等一人として同じ人はいない、その人固有の人生であるが「生病老死」を語る時はこれら凡てを総合して話さなければならない。私が関係した人の病気や死を皆様に語るのは不可能なことです。くどいけれども、故人の冒涜になりかねないし、残された遺族の方々に不利をもたらすこともあり得る。
 だから 皆さんの知っている身近な人の話は出来ない。一般論しか言えない。と、このことは心に決めた当たり前のことではありますが、さて、何を話そうかと迷いました。

 2~3日して朝、気になって思案している時に、NHK FMで、ヘンデルの「矢車草とロマンス」という優美なメロディーが流れてきた。続いて「先なる日々の重いわずらい」という何か物悲しい曲に変わった。同じ作曲家のこの二曲のギャップが気になり、どんな人だったのか興味が湧き、ヘンデルについて調べた。
 慶応の先輩で東海大学医学部附属病院長だった五島雄一郎さんの「偉大なる作曲家たちのカルテ」によれば、彼は音楽にとりつかれた大食漢で、当時の漫画家がブタの顔をしたヘンデルがワイン樽に腰かけて食卓に山海の珍味を並べている絵を残している程に、高血圧で肥満の大食漢で、五十二歳の時に脳卒中になり、大変なリハビリの努力により右半身不随から回復し、再び作曲を始めたが、そのうち白内障、うつ病、痛風を患い、失明の衝撃と苦悩にあえぎながらも作曲と演奏を続け、七十四歳に脳卒中の再発で死亡した。
 ドイツ人でありながらイギリス宮廷に愛され、ジョージ一世に捧げた「水上の音楽」や、メシアなどの名曲を残し、偉大な作曲家としてイギリス人最高の名誉であるウエストミンスター寺院に埋葬された、ということであります。
 ざっと通読し終った頃、朝ドラの「ごちそうさん」のテーマソングが聞こえてきました。毎朝観るのが日課なのだが、今まで気が付かなかった「突然?偶然?必然?」と言う歌の文句が気になりました。ドラマは戦前、戦中、戦後の自分が生きて来た時代の話で、懐かしく面白く観ていたのだが、ヘンデルの大変段差のある音楽を聞いた後なので、妙にこの文句に引っ掛かったのです。
 ヘンデルは偉大な作曲家であるけれども、その生涯をみると巨万の富を得たかと思うと脳卒中になり病苦に悩まされる。やはり人の子であるから、突然、偶然、必然の人生であり、原因あっての結果なのだなと納得する。止むに止まれぬ原因、或いは欲望を抑えられず、それに漬かってしまう・・・そして病気が出て思いわずらうことになり、なげき悲しむと言う・・・これが人間の姿でありましょう。因果応報、偶然、必然、神のおぼしめし、仏の慈悲、ご縁等々・・・色々な出会いも、どう考えるか、人によって様々であり、神を信ずる人もあれば、無神論どっぷりの人も多くいるーこれが私の感想です。

 先述の五島雄一郎氏は、著名な作曲家ですばらしい出来栄えの音楽があるかと思えば同じ人なのに何でこんな曲を作ったのかと思えるものもある。こういうことはどうして起こるのかと疑問をもち、伝記から年代と作品を調べ、病気と作品の関係をみてみると両者は明らかに関係が深いとして、十九世紀から二十世紀前半に死んだ四十人の作曲家の病気、精神状態、食生活や嗜好品などを「表」にして発表しています。コピーしたのでお目にかけます。
 さて、あの人は「何で死んだか」を知りたがるのは人情でありますが、同様のことを本にした人がいます。
山田風太郎氏で、東京医大出身ですが、皆様ご存知の忍法ブームを起こした作家です。週刊朝日に102回にわたり「人間臨終図巻」を連載しましたが、第一回目にモンテーニュの随想録から「実際ひとびとの死に際ほど、つまり彼がどんな言葉、どんな顔つき、どんな態度で死に臨んだかということほど、わたしの聞きたかったことはない。歴史の中でも、そういう部分に、一番深い注意を払っている」という言葉を警句として冒頭に載せています。
 古今東西の有名人七~八百人位の生き方死に方を書いています。
 昨年角川文庫から上中下の三巻になって再版されましたから、飯合さんのウイングにもあります。これを読むと「人のなり見て我が振り直せ」ではないが、あの偉い有名な人でもそうだったのかと腑に落ちたり、落ちなかったり、考えさせられますが、「他山の石」となるものもあります。私共は死に方を選ぶことは出来ない。突然の事故、天災、人災に遭うかも知れない。先週も千葉から長野にスキーに行った五人組が雪崩に遭って七十歳の人が死んだというニュースがありましたし、八十二歳になって結婚式を挙げ、女性と入籍したその日に亡くなった有名な俳優もいました。本人の予想外のことです。

 二、三十年前は八十歳過ぎまで生きられれば、苦しまずに、ポックリ死ねると言われておりました。昨今は、寿命も当時からみれば十歳も若返り、九十歳、百歳の人も珍しくありません。そこまで生きなければポックリ死ねないというのは大層なことですが、最近は健康寿命を延ばそうと皆さん大層努力されているようです。
 私も八十三歳になったので 八十歳過ぎの人はどんな死に方をしたか、関心を持って「臨終図巻」を見ましたが、大体脳卒中、がん、心臓病を逃れた人は、肺炎で亡くなっています。
 日本人の四大死因のどれかで亡くなっているのには、変わりないでしょう。
 四大死因は全て生活習慣病であり、貝原益軒の「養生訓」以来いわれていることを、現代なりに解明された医学知識と共に取り入れて、良い生活習慣をおくればこれらの病気にはなりにくい筈です。
 良い生活習慣を代々守っている家は長寿の人が多く、その家も栄えていると思えるのは間違いではなさそうです。

 最近は長寿遺伝子が分かってきました。サーチュイン遺伝子と言います。これを活性化し免疫機能を上げるにはどうすればよいか、先ず
① 摂取カロリーを抑えること
② 植物が光合成で作ったポリフェノール、例えば茶、ブルーベリー、赤ワインに含まれるレスベラトール
③ 抗酸化物質、ビタミンC、セレン、亜鉛、ビタミンE、コエンザイムQテン等を適正に摂取することと言われています。
 だから 食物について言えば、体に大切な物は、皆さんの知っている五大栄養素(蛋白質、炭水化物、脂肪の三大栄養素と、ビタミン類、ミネラル類)のみならず、身体の免疫機能を上げるものとして、ポリフェノール、食物繊維、抗酸化物質を摂るよう心掛けることです。
 さて最後に人生の幕引きの場所ぐらいについては心掛けておくようにしたいと思いますので、触れておきます。
 昔は大体自宅で亡くなりました。ところが、高度経済成長の昭和三十年代後半以降は、大体八割の人が病院で亡くなっています。
 団塊の世代が七十五歳以上になる十年後には高齢者が二千万以上となり、若い人が少なくなり、病院のベッドも不足し、とても今までのようにはいかないだろうと言われています。特に首都圏、大都市圏はその可能性強く、今から対策を取らねば手遅れになると危惧されている所です。
 五年前から東大高齢社会総合研究機構が中心となり、柏市役所、柏医師会がタッグを組み、全国に先駆けて始めた柏プロジェクトを紹介しておきましょう。
 在宅医療、つまり最後の幕引きも自宅で迎えるためには、沢山の人、多職種の人々が協力連携しなければ成り立たないし、推進も出来ません。市内の十病院も加わって、在宅医療推進の研究、議論、実践、検証を百回以上の会議を重ねて「在宅医療に必要な多職種連携のルール」を完成させて、主治医、副主治医制度もあみ出し「在宅医療介護多職種連携柏モデル・ガイドブック」を作成しました。これは、柏市以外の各都市でも話題となり、関係者が講演を依頼されたりしていますが、このガイドブックも、今後在宅医療現場のバイブルとなるだろうと自負しているようです。倅も医師会の一員としてこのプロジェクトに参加していて、昨日は前橋市医師会から講演を依頼され柏市職員と共に出掛けております。
 さて、本年四月、豊四季台に、柏地域医療連携センターが開設され、早速、ケアマネージャー、訪問看護師、介護福祉士、管理栄養士、訪問リハビリ、歯科医師、薬剤師、医師等の在宅医療にかかわるすべての職種が、このセンターを地域拠点として、患者情報を共有し、シームレスなサービスを提供できると公表されました。
 この柏プロジェクトの在宅医療が完璧に作動すれば、病院に入れなくても自宅で往生出来ると期待しています。
 また市民の知識理解を深めるために、この地域医療連携センター一階講堂で定期的に講演会を開催する啓発活動も予定しているそうで、これも大変結構なことであります。
 私も生きたいように生き、余計な治療はご免蒙って、願わくは自宅で幕引きしたいと思っております。ご清聴有難うございました。

2014年3月28日 14:05